笑う事が身体にいいのは本当
昨日からの家族間トラブルにより、その前から引いている風邪がさらに悪化してる実感がある。
昨日も胸に言葉のナイフが刺さる……
その度に身体に重い物を感じる。
冷えた感じがして鼻水止まらない。
喉も痛い。
心と身体が繋がっているのは本当だわ。
て言うか、当たり前なんだよね。
笑うと免疫力上がるって本当だと思う
笑うと身体が温もって気分も晴れるし。
やっぱり、怒ったり、泣いたりするより笑ってる方がいいね。
普段の平和な日常ではなかなか気がつかないけど。
家族でも伝わらない事ってあるね。
平和な日常が懐かしい…(;;)
論点はそこじゃない‼
川崎の殺傷事件で思う事。
メディアでは児童へ対する安全対策が取り上げられ、コメンテーターも司会者も頭を抱えていたが…
今回の事件の論点はそこじゃないと思う
事件には必ず背景がある。
容疑者の生い立ちや今までの生活を見てみると事件の背景を物語っている
容疑者のような状況に置かれている立場にいる人は他にも沢山いるだろう。
事件を起こす人と起こさない人の違いはなんだろう
容疑者はきっとプライドがとても高かった人だと思う。負けず嫌いでもあっただろう
嫉妬深くもあり、愛されたい、寂しい
人間なら誰でも持ち合わせてる感情がコントロール出来るか、出来ないかの違いで誰でもが一歩間違えば犯罪って以外と簡単に起きてしまうのかもしれない。
社会問題にもなっている引きこもり
実は中年の引きこもりが一番多いらしい。
中年の引きこもりの親は当然高齢者となるのだけど、高齢者の親が子供の行く末を心配しているケースが多くて、今回の川崎の事件も高齢者が引きこもりの子供を抱える社会問題の象徴のような事件だと思う。
おそらく、引きこもりと言われる人達はプライドが高いだけに劣等感を強く、引きこもりというレッテルを貼られてしまっている事に怒りさえ感じているだろう
本当は皆と同じように自分を主張したいし、幸せにだってなりたいはず
でも一度迷い込んでしまったトンネルから抜け出せずにいるだけ
抜け出しかたが分からないだけ
抜け出す気力がないだけ
そのトンネルからの救出の手助けをする事がこのタイプの事件の解決には重要なのではと思う。
川崎の事件では行政がアドバイスを提案してそれを実行していた矢先の出来事だったみたいだが、やり方が良くなかったのだろう
きちんとした専門家を備えてプロの指導のもとアドバイスする事が大切なんだと思う。
とてもデリケートな問題だから。
子供たちを守る事は勿論大事。
でもセキュリティー強化をしても、人間の心の闇の問題を解決させないと意味がないと思う
闇を解決する知恵を皆で考えて、二度と同じ過ちを繰り返さない事が被害を受けられた方への一番の供養になるのではないだろうか
結婚して2ヶ月目
独身生活が長すぎたせいか、未だに結婚した実感があまりない。まだ別居だからかな?
結婚して2ヶ月目になり一つ一つバタバタしてた事が落ち着いてきた。
女性は特に何かと大変だと思う。
名前の変更手続きに始まり、御祝いのお返しの手配、ブライダル関係を決めていくのも女性主導だろうし、お金の管理、子供が出来れば出産して、まもなく仕事に出つつ、育児に家事。
私の今の段階は各種変更手続きがだいたい終わり、残りは車検証の変更くらいかな?
あと、御祝いのお返し選びにお礼状を一件一件手書きして発送の荷造り、集荷の手配も以外と大変だった。
旦那は知らない間に色んな事が片付いているので私の苦労を知ってるようで知らないだろう。
今からまた来月のブライダルフォトの支度が始まる。
旦那の衣装を決めて、ブーケとブートニアを作る。コスト削減のため100均の造花を今日下見してきた。
まぁまぁ、良さげな造花も結構あるね。
十分だ。
ブーケ作成と、私は髪型の打ち合わせに美容室に行かなきゃ(>_<)
第2ステージの試練?に突入です。(^-^;
ためこみ症と断捨離依存症
なんでも度を過ぎると病的になる
適度って言葉があるけど、適度が一番難しいのかもしれない
物を捨てられずにいろんな物が部屋を占領してしまい人間の住むスペースが不自由な状態となってしまう人の事を ためこみ症 と呼ぶらしい。
反対に
物が増える事に恐怖を感じ、極端に入って来る物の制限をして人とのコミュニケーションにまで支障をきたす状態にある人を 断捨離依存症 と呼ぶらしい。
実は私はどちらの気持ちも分かる。
若い頃、仕事のストレスからか収入の殆どがブランド品や洋服に消えていってた時期があった。物が増えるのだけど、不思議と満足感はなかった。ただ、購入した時の一瞬の達成感は気持ちが良かった気がする。
当然そんな事を続けていたら物はどんどん増えていき、ゴミが部屋に散らばっている事はなかったけど決して整頓された風通しの良い綺麗な部屋ではなかったと思う。
その後、体調を崩し仕事を辞めた。
あの時期は今思い出しても辛いな…
そんな時、執着して集めたブランド品や不要なアクセサリーを思いきって処分してみた。
使用済みの物なのに割りと良い値段で買い取ってもらい、全く後悔はなく、何より部屋が片付いた事が気持ち良かった。気分的な問題かもしれないけど、その時期あたりから体調も落ち着いてきて今にいたるような気もする。脳の感覚としては物がスッキリすれば健康になるという錯覚?がすりこまれているような気がしないでもないけど。
うん、でも経験から言うと物をためこみ過ぎて良いことは何一つないな。
3年前に経験した地震をきっかけに更なる断捨離を家族ぐるみでやったんだけど不要な物があるわ、あるわ。
よく考えると、物が入って来てもその分何かを捨てるという行為がなければ溜まる一方なのは当然だよね。
地震後、暫くして、妹が結婚した。
子供二人に恵まれて、家族が増えた。
物が減ったおかげで
妹一家が帰省してきても、小さい家ながら、何とか収容できる。
地震後のゴタゴタにより以前の我が家から整頓されたガラーンとした我が家に変わり、風向きは確実に良い方向に向いていると思う。
他人を我が家に招けるようになり妹も私も結婚した。
またその経験が脳に良い風にインプットされ断捨離賛成❕断捨離最高❗となってるとも思う。
終活も私は賛成だ。
年齢関係なく明日何が起きるか分からない。
遺品の整理でムダなエネルギーを家族に使わせるのは嫌だから。
と言いつつ、まだまだ不要な物あるなー。
私の今の状態はどちらかと言うと断捨離依存症なのかな…?
物がそこそこまだあるから断捨離依存症とまではないかな。
適度の意識は忘れずに、病的にはならないように…
ためこみ症と断捨離依存症
真逆だけど、原因は同じなんだろうな。
でも、言えるのは荷物は少ない方が生きやすい。
我が子への虐待
最近、毎日のように我が子への虐待のニュースを目にする事が多く感じる。
今日も8歳の我が子を水風呂に入らせて虐待をしていたというニュースを目にした。
水風呂だけでなく、身体にアザが出来る虐待もしていたようだ。
お腹を痛めて命がけで産んだ子供になぜそういう苦しみを与える事が出来るのだろう?
子供は何も悪くない。
大人のストレスの捌け口に我が子が犠牲となっている。
子供を保護する事も大切だけど、虐待をしてしまう大人のケアに目を向けて対策をとらないと何にも変わらない。
虐待に対しての罰を与えても何も解決に繋がらない。
犯罪の裏側には必ず背景がある。
悪=罰 ではいい加減解決出来ない事をもっと世の中全体で考えるべき時代にきていると思う。
いろんな事が発展してきて本当に便利な世の中。でも人間の幸せの基本は昔から変わらない。
子供には温かいご飯と温かいお風呂、温かい布団で眠れる普通の幸せを与えてあげたい。
人を幸せに出来るのは人しかいない。
虐待に走る大人の為にケアを出来る場所があればいいのに
薬物更正施設のような場所が。
世の中の皆さんはどう思いますか?