他人への批判
他人が何か事件を起こす
加害者と、被害者。
当然、被害者側の事を思えば、どんな被害でも気の毒だし、被害者のケアと今後は重要な課題だ。
人は寄って集って加害者を批判する。
事件には背景がある
背景がなければ事件はない。
人は背景には興味がない。
今、起きてるその状況と今後に興味がある。
背景を考える事は加害者を庇うような空気になり、そういうコメントは歓迎されないし、面白くないんだろう。
まるで学校のいじめの世の中。
いじめられてる人を庇うと自分までもいじめられてしまう。
世の中の物差しは小さい。
その小さい物差しを基準に少しでもはみ出したら批判される。
なぜ物差しからはみ出すのか、理由を聞こうとしない。考えない。
だから事件は繰り返す。
社会の規則は大事。
規則があるから人はそれに従って理性を働かせ平和に暮らす努力が出来る。
その理性のコントロールがとても難しい。
すべてはここにあると思う。
理性は、孤独、さみしさ、欲に弱い。
自分の理性をコントロール出来る状態にあるのか常に自分と向き合って、意識がけておかないと、理性ってすぐに暴走する。
間違わない人間はいない。
寂しくない人間もいない。
事件を起こしたい人間もいない。
さみしいときに、さみしいと周りに言いやすい、言っても恥ずかしい事じゃない風潮の世の中を作って行ければ、救われる人は沢山いるんじゃないかなと思う。
大切なのは小さい物差しじゃないんだ。
そこに気付こう。